ブラジル人らしさに気づいた:マルセル(サンパウロ→東京)

マルセルはサンパウロから日本に移住し、現在は日本企業の国際部で営業職として働いています。学生時代から移住への思いを温めながらも、ブラジルでの約束されたキャリアが彼を引き止めていたと話すマルセル。移住を決めた背景には、人生を変えた出来事がありました。

プロフィール

名前:マルセル・フェハジ  年齢:35歳

ブラジル・サンパウロ出身。父親の仕事の都合で10代をペルーで過ごす。サンパウロ大学卒業後、投資銀行、金融コンサルで務めたのち2014年4月文部科学省奨学金留学生として来日。2017年に慶応大学大学院で修士号を取得し、現在は東京で日本企業に務める。


海外移住に踏み出せなかった頃

————— 学生時代から海外生活をしたいと思っていた? 

マルセル: 周りの友達がみな留学していて、僕もずっと行きたいと思っていた。でも若い頃はブラジルを離れる代償が大きすぎると感じていたよ。

僕はブラジルで最も優秀とされる大学に通っていて1年でも離れたら卒業できないと思ったし、インターンとして若い年齢で銀行の管理職に就くための研修を受けていた。離れるのはもったいない状況だったんだ。

働き始めてからも何度も海外転勤させてもらおうとしたんだけど、悲しいことに、僕が仕事ができるからとの理由で会社が海外に行かせてくれなかった。

ブラジルでの会社員時代

移住を決めた背景

————— 来日の背景は?

マルセル: 僕のプライベートで人生を変える出来事があったんだ。

当時4年付き合っていた婚約者がいたんだけど、彼が脳梗塞になって僕の人生は完全に変わった。彼の看病や世話をしていたけど、11か月経った時に彼に別れを告げられた。僕を自由にしたかったんだと思う。

別れてから半年後、文部科学省の奨学金に申し込んだ。それまでも「海外に住めたら」と思っていたけれど、その出来事が起こらずに彼と付き合っていたら海外移住を実行には移さなかったかもしれない。

————— 文部科学省奨学金に応募した経緯は?

マルセル:兄が奨学生だったことで奨学金については以前から知っていたよ。僕自身は2008年に日本を旅したことがあって、とても好きになった。だからもし奨学生に選ばれたら行こうと決めていた。

その時点で海外勤務のチャンスはないとわかっていたし、僕にとって一番大事なのはお金ではなかったから。

————— 他の奨学金についても調べていた?

マルセル:ううん、疲れきっていてできなかった。彼との別れがあって、仕事もしていたし。すべてに疲れていたんだ。

だから「なぜ日本を選んだの」って聞かれると僕は「日本が僕を選んだ」って答えている。応募したのはその一回だけで、選ばれて今ここにいるからね。 

プールサイドでのんびり。サンパウロでのリラックス方法

奨学生に選ばれるまで

————— 奨学生になるまでのプロセスは?

マルセル: 奨学生の選考には1年間のプロセスがある。試験、また試験、という感じ。日本領事館の方との面接もあって、ある段階では6、7人のおじいさんと面接するんだけど、みんなじっと見つめながら審査する。怖かったよ。

おじいさんたちとの面接には兄が助言をくれて、面接の最後に一言、日本語で「ガンバリマス」と言った。僕が「頑張る」の哲学をわかっていると示せるでしょう。おじいさんたちはみな喜んで、「おお、頑張って!」と反応してくれたよ。

————— 奨学生は何人選ばれた?

マルセル:300人中10人。競争は激しかったけど、僕には大学受験の方がずっと大変だった。

実際サンパウロ大学に行ったことは、奨学生に選ばれるうえで有利だったと思う。そして慶応大学に行ったことは今回の就職で有利に働いた。人生は因果関係に満ちていると思う。

マルセルは慶応大学から修士号を取得し、2017年に卒業

子供時代の移住

————— 子供時代はどのような生活をしていた?

マルセル:子供の頃はブラジル国内でいろんな街を転々としてから、10代はほとんどペルーで過ごした。父親の仕事の都合で常に引っ越ししていて、幼稚園から高校まで13の学校に通ったよ。

ペルーではアメリカンスクールとブリティッシュスクールに通った。生徒のほとんどはペルー人で、本当に裕福な家庭の子供ばかりだったから甘やかされている子が多くて。

ブリティッシュスクールでは周りになじむのに苦労していじめられることも多かったよ。

————— ペルーではブラジル人として扱われる?

マルセル:うん。ブラジル人として認識されて、僕の立場は良くなる。かっこよくて、洗練されてるってね。「ブラジル人だから」っていう理由でクールな女の子と付き合えるし。

あとはサッカーが上手いと期待される。学校にうまくなじめなかったのは、僕がサッカーが得意でなかったのが原因の一つかもしれない。ちなみにクールな女の子には全員アタックしたけどね。この頃、自分の出身地についてより意識するようになったよ。

日本で発見した自分の一面

————— 日本に住むなかで自分への理解は変わった?

マルセル:以前は、自分のことをそこまでブラジル人ぽいと思っていなかったけど、日本に来てカトリックの影響を強く受けていると気づいた。

例えば、許すこと。日本だとルールに従わないと代償があるでしょう。例えば、締め切りを過ぎたらもう次のチャンスはないとか。

ブラジルでは、許しは高貴な行いとしてもっと大事にされている僕自身はカトリック信者ではないけれど、自分が強く影響を受けていることに気づいたかな。

 
日本企業の国際営業部で働く

————— 日本に来る前にはどのような期待があった?

マルセル:幸せへのカギの一つが、期待を持たないこと。だから期待はあまりしていなかった。ゆったりとくつろいだ気持ちだったよ。

代わりに3つ、具体的な目標を立てたんだ。1つ目は修士号をとること。2つ目はアジアのいろいろな国を旅すること。3つ目は、英語を僕の第2言語にすること。以前はスペイン語の方が得意だったからね。

————— その目標は達成した?

マルセル:達成できたし、より多くを手に入れることができたと思う。今はハンサムで頭が良くて、たくましい婚約者がいるし、仕事もある。世界各国の友達もできたし最高だよ。

でも、いつでも子供みたいな気分だけどね。ブラジルにいた時は社会の中で自分が強い存在だと感じていた。日本では言葉で苦労して、毎日基本的なことを学んでいる。だから時々すごく疲れるよ。

 
慶応大学での日本語の授業。「日本語の勉強は一生かかる」とマルセル

「外人」として扱われること

————— ブラジル人として日本にいるのはどんな感じ?

マルセル:僕自身はとても歓迎されていると感じる。僕の性格による部分もあるだろうし、僕のステレオタイプによるところもあると思う。僕は白人男性で、白人の特権があるから。

これは日本だけの話ではないけれどね。日本の人は僕をヨーロッパ人として扱っっていると思う。それで関わることにもオープン。

アジアの国々出身の友達は、日本人の友達を作るのがすごく難しいと言っていた。もし僕がまったく同じ性格でも身体的な特徴が違ったら、もっと難しかっただろうね。

あと、外国人にとって日本っていうのは一筋縄ではいかない社会。カナダやオーストラリアとは全然違う。

日本に長く住んでいるヨーロッパ出身の友人がいて日本語も流暢なんだけど、それでも日本の人は何も知らない「外人」として扱う。だから僕は必要に応じて「外人」として振る舞うことを受け入れていこうと思っている。

ブラジルについての思い

————— 日本に3年半住んでみて、ブラジルに対する認識はどう変わった?

マルセル:日本がすごく整えられている国だから、ブラジルは整っていない部分があると思うようになった。交通機関も、医療制度も、ブラジルはめちゃめちゃだと思う。日本社会は機械みたい。

ブラジルについて好きなのは、人が幸せなこと。ブラジルには問題もたくさんあるし不満も多い。でもみんな幸せだし、人生を楽しんでいる。

日本の人は何でも持っているけど、お互いに対してすごく厳しい。ものすごいプレッシャーがあって、遠回しに相手を攻撃したり、それが人々をすごく悲しくさせていると思う。

もしかしたら、だからブラジルはそこまで発展しなかったのかもしれないけどね。人々がリラックスしているから。

————— 日本で「もっとこうしたら良くなる」と思うことは。

マルセル:衝突をすごく避けるために、本音で話さずに建前で済ませることが多いと思う。自分自身を守りたいから。

問題解決や状況改善のために、時に衝突は必要なもの。海外出身の友人たちは「日本人は背後にナイフを隠している」っていつも言っているよ。

僕は日本に住んで3年だから、まだ建前を言われても気付けないと思う。だから僕は相手が本音で話していると信じることにしている。これに尽きると思う。でも相手が建前を話していたせいで悪い状況になっても驚かないけれどね。

————— ブラジルのどんなところが恋しい?

マルセル:答えは簡単。家族だよ。家族が変わっていくのを写真で見ながら、こんなに遠くで生活する決断に疑問を抱くこともある。 

ほとんど毎日テキストメッセージを送り合うから僕の現状も伝わっているけれど、一緒にいるのとは違うから。

————— また別の国に引っ越したい?

マルセル:僕が最優先するのはプライベート。だから、もし婚約者が海外に行きたいと言えば付いて行きたいと思っているよ。