ルイスさんは語学留学を機に、サンパウロから東京に移住。来日の際に背中を押したのは、日系移民1世の祖父でした。日系3世として日本文化に触れ育ったものの、来日したあとは驚きの連続だったと話します。
プロフィール
名前:中野ルイス 年齢:51歳
ブラジル、サンパウロ出身。1990年に語学留学のため来日し、その後旧南米銀行の東京駐在員事務所で勤務する。銀行勤務のかたわら日本語、ポルトガル語、スペイン語の法廷通訳として働き始め、1995年に司法通訳として独立。
こんなに美味しい醤油があるの
———-初めて日本に来たときに期待や不安はあった?
ルイス:1990年に1年間の語学留学プログラムで日本に来て、期待も不安もあったけれど、予想外で良かったことがたくさんあった。
まず食べ物。日本に来て、こんなに美味しい醤油があるのかって驚いた。ブラジルの醤油は僕にとって、ただの黒いしょっぱいもの。塩の代わりに使うものだった。
僕の祖父母が日本からブラジルに移住した時、醤油、味噌、鰹節はまったく手に入らなかった。だから日本人は自分たちで作って、僕もよく手伝わされてね。そして長く保存できるように、すごくしょっぱくする。
だから日本に来て驚いた。醤油がただ単にしょっぱいのではなくて、味も香りもきちんとあって。鰹節もあんなに細くてきれいで。ブラジルでは粉状のものしか見たことなかった。
ルイス(左から2番目)子供時代の家族写真
ルイス:ほかに予想外だったのは、日本人の人との接し方かな。日本では家を訪ねると、おもてなし、という感じですごく親切でしょう。ブラジルでは日本人の家で温かく迎えられることはなかったから。
ブラジルに移住した日本人は警戒心がとても強かった。戦時中ブラジルはアメリカ側についていたから、日本人は敵として見られていた。
だから日本人が集まって日本語で話していると、つまりブラジル人に理解できない言葉で話していると、それだけで逮捕の対象になった。
だから、たとえ日本人同士でも前々からの知り合いじゃないと迎え入れてもらうことは難しかった。誰かに紹介してもらう場合でも、必ず良いお土産を持ってかないといけなかった。
でも日本に来たらおもてなしがすごくて。僕にとってはもう、お祭りのような感じだった。
日本で通じなかった日本語
———-最初に日本に来た時、ルイスの日本語はどんな感じだった?
ルイス:最初は自信があったよ。小さい頃、よく祖父母に面倒を見てもらっていて日本語も教わっていた。ブラジルに観光に来る日本人には通じていたし、自分は日本語が上手だと思っていた。
でも日本に来て、実際に使うと通じない。話すと笑われる。なんでかなと思って調べてみると、祖父母に教えてもらった言い回しや単語がすごく昔のものだってわかった。例えば帳面とかね。ノートっていう意味なんだけど。
これに気づいた時はすごくショックだった。「そういう昔の言葉はもうあまり使わない」って言われて話すのが怖くなった。人と会いたくない時期もあったよ。
初来日の際に空港にて。ルイスは左から3番目
「広い世界を見てきなさい」
———-留学期間が終わった後はどうした?
ルイス:ブラジルに帰ろうとしていた頃、当時の南米銀行から日本で3年間の仕事のオファーがあった。僕が勉強してきたこととまったく結びつかないオファーだったからすごく迷ったよ。
日本に来る背中を押してくれたのが、うちのおじいちゃん。「日本に行って広い世界を見てきなさい」と、すごくサポートしてくれた。そのおじいちゃんに「日本でそんなオファーがあるなら当然帰ってくるな」って言われて。で、言うことを聞いた。
———-ルイス自身はどういう気持ちだった?
ルイス:ブラジルに帰りたかった!友達もいるし。日本の冬は寒いし。でもおじいちゃんは圧倒的な存在で、僕の強い父親でも立ち向かえない。家族にとっては神様みたいな、そんな存在だったから。
銀行職員から司法通訳へ
———-銀行ではどんな仕事をしていた?
ルイス:外貨預金の送金課に配属された。出稼ぎに来ているブラジル人のために口座を開いて、お金を無事ブラジルの家族に届けるっていう仕事をしていた。
当時はちょうどバブル崩壊の時期。25万人のブラジル人が日本にいて、出稼ぎの人たちがたくさん仕事をしていた。工場や日本人が嫌がるような仕事、たとえばアスベストの除去、夜中の線路点検、大型船の掃除、溶接とかの重労働ね。
———-今の司法通訳の仕事はどうやって始めた?
ルイス: 銀行のお客さんに東京地方裁判所の裁判官がいて、ブラジル人の裁判のために緊急で通訳を探していると言ってきた。裁判の日時と僕の都合が合ったから「私でよければ」ってことで僕が通訳しに行ったよ。
裁判の後、僕の通訳が良かったと言ってもらえて、また依頼をしていいか聞いてもらえた。そこから正式に通訳のセミナーを受けた。
———-銀行で働きながら副業のような感じで法廷通訳を始めたの?
ルイス:うん。銀行みたいな堅いところで、普通は副業なんて考えられないこと。
でも銀行の支店長が「うちの従業員が裁判所のお手伝いをするなんて誇らしい!」って(笑)。当時は犯罪が多くなくて通訳の仕事もたまにしかなかったから、銀行側も大丈夫ということになって。通訳になる試験は厳しかったけど、無事に通ることができた。
———-通訳として独立する時、何か準備はしていた?
ルイス:銀行での僕の契約が終わる前に、南米銀行が倒産してスキャンダルになってね。イタリアの銀行に買収されて、南米銀行はスダメリス銀行になった。
その買収が決まる前頃から、僕は法廷通訳の仕事が徐々に増えていた。銀行が倒産するほど経済が悪くなると、犯罪が増えるね。
———-じゃあ充分に仕事はある状態だったんだね。

ルイス:そう。それでも本当に個人でやっていけるか不安だったよ。自分の国でもないし、それまでは銀行で保証もボーナスもあったけれどそれが全部なくなるんだからね。
それで独立する前に税関と移民局にも出向いて、仕事があるか聞きに行った。「裁判の前と後にも通訳人は必要だろう」と思って。すると、通訳人をちょうど必要としている時だったみたいで「待ってました」っていう感じ。タイミングが良かったみたい。
ただ、向こうも誰でもいいというわけではない。経歴を見るし、「あなた誰?」ということになって。そこで裁判所で働いていることを示したら「じゃあ大丈夫」と。
それで次から次へ、税関、入管、弁護士会に行ったの。同じように、裁判所で働いていることを示すと話が通った。東京地検特捜部だけは2日間の研修が必要だったけど、研修後はみんなが証書をもらえた。
そして司法通訳を始めて、もう25年になる。
祖父母のブラジル移住
———–ルイスはどこで育ったの?
ルイス:サンパウロ州サンパウロ。母方の祖父母と同居していて、日中は両親とも仕事で家にいなかったから祖父母に育てられたような感じ。
家族写真。ルイスさんが高校3年生の頃
———–おじいさんやおばあさんが日本からブラジルに移住した時の話を聞いてもいい?
ルイス:うん。祖父母はペレイラバレットという町でコーヒー農家をしていたよ。サンパウロ州の北西部にある町。
祖父母がブラジルに渡った時にどれだけ大変な思いをしたかを聞いて、僕ももっと頑張らなくちゃと思う。
飛行機で30時間かかったとしても、今は帰りたければすぐ帰れる。でも昔は船で30日間。しかも途中でマラリアになったら、他のお客に移らないようにその人はその場で処刑していたんだって。そして船から降ろす。船の中で蔓延したら大変だからね。
今はブラジルに行く時には「ウォシュレットが付いてない」とか「日当たりが悪い」とか、そういうことで文句を言う。昔は土地がもらえるとかもらえないとかそういうレベル。すぐに変えられることじゃないし、与えられたことをきちんとこなすしかなかった。
———-おじいさんおばあさんが移住したのはいつ頃?
ルイス:戦後だね。うちの父方の祖父母はサンティアゴ丸っていう船だった。神戸港から出航したんだけど、出発の時には「頑張ってお金貯めて送金するから」「また戻ってくるから」って言いながら手を振って、みんなが見送った。
でも、ブラジルに着いたら話が全然違う。ブラジル人が「ここではもう何もできない」という土地を日本人に与えてね。送金するお金を作るどころか借金ばかりが増えて、「これはもう日本に戻れないかもしれない」って。
戦前にブラジルに渡った人たちはもう自分の土地を持っていて、新たに移住してくる人たちを受け入れるための組合も作っていた。そして、ある程度の人は日本に送金できるようになった。
挨拶の仕方だけでも違うから
日本で親戚と
———-ブラジルについて一番恋しいことは。
ルイス:時期によって違うね。ブラジルと日本では、挨拶の仕方だけでもハグとお辞儀で全然違うから。仕事のあり方も違うし、医療も違うし、罪を犯した人への更生サポートのあり方も違う。
いろんな分野で「こんなにブラジルと違うんだ」ということに直面して、ますます楽しくなってくる。

———-日本に来て嬉しかったことは?
ルイス:ありすぎだよ!いい男ばっかりで(笑)。
ゲイの世界は厳しいよ。かっこよくて頭が良くて、収入が良くて魅力的で、ありえないようなものをみんな求めている。そして実際に自分がそうじゃなくても、「自分はそうだ」って見せかけようとするんだよね。
日本だけでなく、どこでもそうだけれどね。ブラジルでもそう。
そして歳の差が大きくなるほど、一緒にいる理由がその人との付き合い自体よりも 金銭的なものと結びついてくる。そして慣れてしまうと、それが当然だと思って付き合うようになる。
でも、そんな時にそういう価値観じゃない若い子と出会うと驚いてしまう。たとえばね、お友達にかっこいい二十歳くらいの子がいるの。彼と初めてお食事の約束をした時に、たまたま仕事が入って待ち合わせに1時間遅れてしまったんだけど、待っていてくれてびっくり。さらにお食事の後「僕にご馳走させて」って言うと、彼が「割り勘にしよう」って。1時間も待たせたのに。
自分が体を鍛えているから若い子たちが興味を持ってくれるのかなと思っていたんだけど、それは本当にそう。
でも若い子たちの目的は、いわゆる体目的ではない。「どうしたらそんな腹筋になれますか」って聞いてくれたり「自転車でどこか行きましょう」とか、そういう子が多い。その方が嬉しいよ。ブラジルで生活していたら、こんな出会いや関わりがあったかは分からない。
———-今の話も書いて大丈夫かな。
ルイス:いいよ。そしたらちょっと楽になる。あの気になっているイケメン君が読んでくれたら嬉しいな。
私は今51歳。最近は同じ年代の人たちと会うと、まぁ今の自分のことに何も興味を持っていない人が多い。体型は気にしないし、口ばっかりで20年、30年前のことしか自慢しない。僕は若い頃そういうのがすごく嫌だったから、自分でそういうことは絶対しない。

———-また移住したいと思う ?
ルイス:うん。場所を挙げるなら、以前少し滞在したことがあるスペイン。日本に来る前に半年留学していたの。
今まで日本で頑張ってきたけど、世界のことをあまり見ていないなって。健康で元気なうちにもっと動かないといけないんじゃないのって。通訳の仕事はスペインでもできるしね。
———-最後に何か加えたいことは。
ルイス:移住してうまくやれない人ってたくさんいるよね。僕が思うのは、郷に入っては郷に従え。その覚悟をきちんと持っていないなら、移住しない方がいい。自分の価値観を移住先の国の人に押し付けるのは良くない。
だから「その国のことを学びたくない」「覚えることは何もない」と思っている人は行かない方がいい。向こうの人を尊重する気持ちを持っていないとね。

