本音でのやり取りは恋しいけれど:アナト(テルアビブ→エルサレム→東京)

アナトは2006年にイスラエルから東京に移住。それから12年が経った今、東京で長期間を過ごし、また母親になったことで日本を様々な角度から捉えられるようになったと話します。

ブロフィール

名前: アナト・パルナス  年齢: 44

1995年、兵役を終えた後、旅行で初めて日本を訪れる。2000年、テルアビブ大学日本語専攻で学士号を取得。2006年、文部科学省の奨学生として日本に戻り日本大学芸術学部大学院に入学。2013年に博士号を取得。現在は写真家として活動する傍ら個人向け旅行ガイドとして働く。3歳の娘を育てるシングルマザー。

日本との出会い

—————日本に初めて来たのはいつ? 

アナト:21歳の時。イスラエルでの兵役を終えて旅をしていて、友達数人と一緒に7、8か月かけてアジアの国々を巡る予定だった。日本はその最初の国だったんだ。

私は日本に何の期待もなかったんだけど、着いてみるとすごく惹きつけられた。友達は他の国で旅を続けたんだけど、私だけ日本に残ることにした。

—————日本のどんなところに惹きつけられた?

アナト:ただただ、私が知っていたものと全然違った。ヨーロッパやアメリカを旅した経験はあったけど、まったく別物だった。

今でも覚えてる。成田空港に着いた、その瞬間に魅了されてしまった(笑)。当時は1995年で今とはまったく違った。金髪でショートヘアの私が目立っていると感じたよ。みんな私をじっと見ていた。

標識の漢字との出会いも衝撃的だったし、聞こえてくる言葉は理解できない。日本人のおじいさんが、言葉が通じないのに私を助けようと近寄ってきたのも覚えている。

そうしたすべてに圧倒された。その後向かった新宿でも、またその雰囲気に驚いた。ただただ魅了されたよ。

アナト・パルナス “SHINJUKU 2009”

—————日本での旅の後は何をしたの? 

アナト:その時はもう、日本について勉強することしか頭になかった。そのあとはイスラエルに帰り、テルアビブ大学で日本について学び始めたよ。

テルアビブ大学での学生生活

—————テルアビブ大学での日本の勉強はどうだった? 

アナトこの先生のことは覚えている。ヤコブ・ラズ先生。

70年代に日本へ留学して、日本の伝統から現代社会まで幅広い知識がある人。ヤクザが関わるのを許した限られた外国人の1人でね。彼の講義は毎回驚きに満ちていたよ。

大学で最後の年、2000年に初めて文部科学省奨学金に申し込んだ。本当に日本に留学したくて、経済的に唯一の方法は奨学金を得ることだった。でも当時は選ばれなかった。

—————その後、2006年に奨学生に選ばれたんだよね。その経緯は?

アナト:テルアビブ大学を卒業してからは芸術の学校で写真の勉強をしながら週2、3日、イスラエルの新聞社でプロデューサーとして働いたよ。

そして2004年に、同じ新聞社で働いていた元夫と結婚してエルサレムに引っ越した。彼はフォトジャーナリストで、共同経営者と事務所を立ち上げて私は彼の仕事を手伝うようになったよ。

当時は結婚して、エルサレムでの生活もあったし、実は奨学金のことなんて全然考えていなかった。それに私は30歳で、奨学金の年齢制限は30歳だと思っていた。

でもある日、テルアビブの日本大使館で働く女性と話があって出向いて行ったら、彼女が「もう直ぐ奨学金の申し込み受付が始まりますよ」と口にした。そして年齢制限は35歳だということ、締め切りまで3週間だとも教えてくれた。

3週間なんて無理だと思った。研究計画や、準備することがたくさんあるから。でもなんとか申し込むことができて、最終的に奨学金をもらえることになった。

—————日本に来る決断に葛藤はあった?

アナト:結局決めるのはとても簡単だった。長年の夢だったから。私を知っている人はまったく驚かなかった。

それに元夫も私の2年間の留学期間中、一緒に日本で過ごすことに乗り気だったの。彼は日本で仕事をして、必要があればイスラエルに帰ればいいと。当初はそういう計画だった。

アナト・パルナス “JAPAN DIARIES 2006-2016”

—————彼にとって日本はその時が初めてだったんだよね。彼はどうだった? 

アナト:最初は日本に来られる経験ができて嬉しそうだったよ。でも日本はイスラエルとは全然違うから、結局難しかった。すぐに日本語の授業が始まって、私が留守の間彼には話せる人が誰もいなかったのも戸惑ったと思う。

それに、私と彼の関係はもうあまり上手くいっていなかったんだ。そして2006年のイスラエルとレバノンの戦争が起こって、彼は仕事で写真撮影のためにイスラエルに帰った。その後は日本に帰ってこなかった。

イスラエルで2回ほど彼に会いに行って、2人の関係について話し合い続けた。そして2007年の夏、イスラエルで彼に会って離婚することにした。

だから日本での最初の2、3か月は辛かった。でも彼が去って初めて、日本での時間を心から楽しメルようになった。友達を作りながら、本当に日本にいると感じるようになった。

日本での学生生活

—————日本での学生生活はどうだった?イスラエルの学校とはどう違った?

アナト:最初の年は日本語の勉強をしていたよ。

その後は日本大学芸術学部の大学院に入学した。授業中の交流の仕方や、学生が授業に参加する度合いがテルアビブ大学とは全然違った。

衝撃だったのは、講義中にまったく会話がなかったこと。授業は日本語だったからすべては理解できなかったけど、他の学生はほどんど質問しなかったし、他の学生と話し合うこともなかった。

イスラエルでは、講師を遮って自分の意見を述べて質問をするのは当たり前。特に哲学、芸術やデザインの学問では、他の学生と話し合うのは重要だと思う。

でも日本の大学院では教授が90分間話して終わり。芸術の大学院だったからクレイジーなはずなのに、全然クレイジーじゃなかった。すごく違和感があったよ。

あとイスラエルと比べると日本の学生への要求は高くないと感じた。イスラエルでは求められるものがもっと多い。

—————そうした印象について、他の学生とは話した?

アナト:外国人の友達とは話した。彼らの経験も、私の印象と大体同じだった。でも日本人の学生とは話さなかった。

後になって私は東京の高校で英語教師として働き始めたんだけど、そこでも同じだった。生徒たちは質問をせず、みんなで話し合うこともない。

邪魔する人になりたくない、先生を怒らせたくない、頭が悪いと思われたくないという雰囲気がクラスにはある。たとえ先生が言うことに納得していなくてもね。

今は、これが日本の文化や仕組みの一部だって理解できる。みな質問をしないし、体制に逆らうことを言わない。

社会は子供たちに一定の振舞を期待している。母親になった今、日本での娘の将来を考えた時にこの教育システムは疑問を抱くことの1つ。娘にどこで、どのようにして教育を受けさせるか早々に考えなくてはいけないと思う。

—————大学院ではそうしたクラスでの状況にどう対処したの?

アナト:そこまで苦にはならなかった。必須の授業もあったけど、教授に相談しながら私個人でやることの方がもっと多かったし。

実際、学生生活はとても楽しかったよ。私の指導教官の鈴木孝史教授は本当に特別な人。偏見がなくて、そうした日本の仕組みについて話し合える人。指導教官としても素晴らしいし、今では家族のような存在だよ。

大学院での学生時代、私は初めての写真展示会を開いたんだ。写真家の広河隆一さんと一緒に働く機会もあった。2009年に修士号、そして2013年に博士号を取ったよ。

2009年に高校で英語教師として働き始めて、その後には小学校で英語を教えた。妊娠するまで6年間英語教師の仕事は続けた。今、娘は3歳。最近は写真の作品作りに取り組みながら、個人向けの旅行ガイドとして働いているよ。 

イスラエル人らしさ、日本人らしさ

イスラエルの砂漠で

—————日本に住んで今12年だよね。自分自身がどう変わったと思う? 

アナト:日本にいることで、自分がいる状況や一緒にいる人についてもっと意識するようになったし、全員が私の意見を聞きたいわけではないと気づいた。思慮深くもなったと思う。こうした変化はすごく嬉しい。でも同時に、私はすごくイスラエル人らしいとも思う。

—————「イスラエル人らしい」とは?

アナト:イスラエル人の友達とはお互いキスやハグをするし、どんなことでも直接的に話す。これは私の一部。

「イスラエル人らしい」を説明するには、これがいい例かもしれない。たまにイスラエル人の旅行客のガイドをするのね。初対面から3分後には、彼らはすごく個人的な質問をしてくる。「なぜ日本人の男と一緒になったの。なぜイスラエル人じゃないの?」って、悪びれもしないでね。これがイスラエル人(笑)。

私がイスラエル人のシングルマザーで子供の父親が日本人だから、彼らは興味があって、個人的な事でも気にせずどんどん質問してくる。日本とはまったく違うね。

—————日本に引っ越してからイスラエルに対する見方は変わった?

アナト:うん。イスラエルでは公共の場所に対する感覚が日本とは全然違うと気づいた。イスラエルでは、みな公共の場で何をしてもいいと思っている。誰もがやりたいようにやって、言いたいことを言って、スマートフォンを制限なく使う。運転中はクラクションを強く鳴らすしね。騒々しいよ。

休暇で2週間イスラエルに行くなら楽しいと思う。でも最近イスラエルに行くと、私が反対している政治的な状況を別にしても、あの雰囲気のなかで住むことは想像できない。特に今は小さな子どもがいるしね。

たまにイスラエル人の旅行客に「イスラエルが恋しくない?」と聞かれる。もちろん恋しい面もあるけど、私の答えはこう。「イスラエルに住むのは恋しくない。わかるでしょう、ここではどれだけ皆が礼儀正しくて、清潔で、居心地がいいかって」。日本では他者を尊重する。12年間それを経験したあと、戻るのは難しいよ。

日本にいることに疑問を抱いた出来事

 

—————日本の生活で思い出に残っている日を挙げるなら?

アナト:実は日本から出て行こうと思ったことが何回かある。最初は2007年。日本人の男性と付き合っていて、彼が六本木駅の公衆の面前で私の頭を殴った。

驚いたよ、日本の人が誰も私のことを助けてくれなかったから。助けてくれたのは外国人だった。プラットホームにいたんだけど、日本人は何も起こらなかったか、何も見なかったかのように振舞っていた。

2度目は2013年。同じ人が私の住んでいたアパートに押し入ろうとしてきた。それまで3年間私は彼に会っていなかった。その時は真夜中で、彼は泥酔して英語でひどい言葉を叫びながらドアをドンドン叩いていた。

私は警察を呼んで、収まったのは朝の5時。その時も同じで、近所の人は誰も何もしなかった。窓を開けることすらしなかった。

これが今でも日本について好きになれない部分。他人に干渉しないことの悪い側面。日本に対する尊敬の気持ちはたくさんあるけど、その時は誰も助けてくれない場所には住めないと感じた。その後はアパートを引っ越したよ。 

日本でシングルマザーであること

 
2015年に娘を出産した

—————母親として日本で過ごすことについて、どう感じる? 

アナト:母親であることに対する考え方は、日本とイスラエルとではとても違う。日本では母親になると、すべきではないことがたくさんある。

例えばイスラエルでは子守を見つけて夕食に出かけることは普通だけど、日本ではそうじゃない。日本では母親が夜に出かけたりパーティに行くのが良いことだと思っていない。母親自身も含めて。

—————日本で他のお母さんたちとの付き合いはある? 

アナト:娘が生まれてから、日本にいるイスラエル人との交流が増えた。日本にいるイスラエル人の母親の集まりがあって、最近はとても頼りにしてる。

正直に言うと、日本人のお母さんたちとはあまり共通点がないと感じる。東京の幼稚園で会うお母さんたちとは、もう2年になるけど「こんにちは」というだけ。彼女たちのことをほどんど何も知らない。

娘はイスラエルでは育てない予定だけど、彼女にはできるだけ多くのイスラエル人と関わってほしい。ヘブライ語のためだけじゃなくて、私が好きなイスラエルの雰囲気を伝えるために。

同時に、日本の文化で受け継いでほしいものもあるよ。思慮深く、周りの人のことを考えるようになってほしい。

日本で母親になったことで、日本の好きなところ、好きじゃないところが明確になった。前にはなかった新しい視点で物事を見るようになったよ。 

—————日本に移住して一番難しかったことは何?

アナト:人を理解すること。今でも難しいよ。日本の人は、いる場所や一緒にいる人によって別の人格を持っているように感じる。

例えば、今は私と一緒に特定の状況にいても、もし両親の元に行ったらその人は「両親との自分」になる。仕事に行けば「同僚との自分」になる。状況によって違った側面を見せる。

イスラエルでは、程度の差はあれどこにいても自分は自分。上司と母親に同じように話すというわけではないよ。でもある程度誰かと一緒にいたら、後からその人について驚かされることはない。

日本ではたくさんの人間関係の泡があって、その泡は混ざらない。イスラエルでは仲のいい友達なら家族も知っている。でも日本人の仲のいい友達の場合、たとえ家族が近所に住んでいても私は会ったことがなくて普通。たまに「私は本当に日本人の友達のことを知っているのかな」と思うよ。 

—————私の場合、特に意識しないでそうしている気がする。 

アナト:まさにそういうこと。みな努力せず自然とそうしている。これは、日本人であること、日本で育てられて日本で生活することの一部なんだと思う。私は日本で、これからも部外者だと感じ続けると思う。私の見た目だけでなく、日本の限定された交流のあり方のためにね。 

建前に対しての複雑な思い

 

—————イスラエルについて一番恋しいことは?

アナト:直接的なコミュニケーションかな。これまで話したこと加えて日本には建前があるから、たまにもどかしい思いをする。率直な答えをもらえず、目の前にいる人なのに理解できないんだから。

同時に、これは日本で私がとてもありがたく思っていることでもある。イスラエルでは人々が直接的すぎることもある。率直であることの美しさもあるけれど、状況によっては気分を害してしまう事になる。

私の考えでは、イスラエルでは自分の考えを言わないと、冷たい人、もしくは偽善者だと思われる。でも考えを言わないことは偽善とはまったく違う。調和を保ち、物事を機能させるため、自己主張をすべきではない時もある。矛盾してるのはわかってるけど、こうした気持ちはずっと抱いてる。

—————また移住したいと思う?

アナト:娘が生まれてから、移住についてよく考えるようになったよ。日本は大好きだけどね。娘の将来、日本の将来を考えて。

あと最近とても寂しく感じている事もあって。他の人と関わりたいけど東京は大都市で、ベビーカーで動き回るには難しい。東京の冬は私には厳しいし。そうした色々を考えて、いくつか海外で候補地を考えているよ。

でも最初に引っ越すのは千葉県かな。自然が豊富で、娘の父親にも少し近くなる。まずそこに引っ越してみて、どうなるか見てみようと思っているよ。

Anat Parnass Photography : http://anatparnass.com/